岐阜西濃地方で、仏教・親鸞聖人の教えを、楽しく学ぶ青年・壮年のサークルです。

降誕会「親鸞聖人のご生誕を祝う」理由

親鸞聖人がお生まれになられたのは、承安3年4月1日と言われ、西暦にすると1173年5月21日だということです。

細かな年月は余り重要ではないのですが、浄土真宗においては、親鸞聖人のご生誕をお釈迦様の花祭り(4月8日)よりも盛大にお祝いします。

春には降誕会、秋には報恩講。浄土真宗の2大行事です。

浄土真宗の中興の祖、蓮如上人もお手紙に書き記しておられます。

毎年不欠にかの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡 その他 いかなる
卑劣の輩までも その御恩を知らざる者は、まことに 木石に異ならんものか。

蓮如上人・ご文章

「降誕会・報恩講に参詣しないものは、木や石と同じ」と断言されています。

もはや「人間ではない」と言われています。

その理由はなぜなのでしょうか?

降誕会とは

浄土真宗で降誕会というと、親鸞聖人のご生誕を御縁に、親鸞聖人の教えを聴聞する御法話を中心とした行事です。

親鸞聖人は常々、こう語っていたと言われます。

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。

蓮如上人・ご文章

「親鸞聖人の教え」というと、親鸞聖人が創作された独自の教えがあるかのように誤解してしまいそうですが、親鸞聖人ご自身は「如来の教法」すなわち、お釈迦様の教えられた「仏教」以外に教えていない、と言われています。

それなのに、お釈迦様の生誕(4月8日)を祝う花祭りよりも、親鸞聖人の降誕会が大切な行事なのです。

親鸞聖人が開いた浄土真宗とは

親鸞聖人は、日本仏教の最大宗派「浄土真宗」の開祖です。

先に述べたように、浄土真宗は仏教そのものと言って良いです。

今でこそ、日本において伝統仏教と言われますが、新興宗教のような扱いであったのです。

それは、あたかもお釈迦様が人類史上、初めて「仏教」という教えを説かれたときと類似します。

世界の中の「仏教」・日本の中の「浄土真宗」

何事にも時代背景があります。

仏教は新興宗教?

「仏教」は、釈迦が説いたのですが、仏の悟りを開くことにより、人間とは別の「仏」という、今で言うなら異次元の存在になられました。

原始的に土着の宗教においては、「神」という概念があり、人間の遠く及ばない力を持つ存在があり、天地・自然・人間の運命までも左右できる、と考えられていました。

こちらについては、改めて著述したいと思います。

ヒンズー教やバラモン教といった土着の宗教がある中で、「神」とは明らかに違う「仏」という存在を語るためには、相当に苦労したでありましょう。

約2600年前には、新興宗教だった仏教は、現在、世界の2大宗教の一つです。

浄土真宗は新興宗教?

仏教は6世紀に日本に伝わり、聖徳太子が十二条憲法にも「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と書いたことでも有名です。

その約600年後に浄土真宗が開かれましたが、その直前に師匠の法然上人が浄土宗を開いています。

それまでは、聖道仏教~修行によって悟りを得る仏教しか、日本にはありませんでした。

肉食妻帯という破天荒な行い

親鸞聖人というと肉食妻帯(にくじきさいたい)が有名です。

法然上人は「行」として「念仏」を強調されましたが、親鸞聖人は「信」を強調されました。

修行によって悟りを得る「山の上」の仏教を、修行しなくても悟りを得られる「山の下」の仏教を明らかにされました。

肉食

人間が普通に生きるには、肉や魚を食べますし、狩りや漁を仕事にする人もあるでしょう。

だから肉を食べても救われる教えでないと、すべての人が救われる教えではありません。

妻帯

結婚して子孫を残さなければ、人類は絶滅します。

妻帯は「結婚」ということでから、人間の存在の前提にあるものです。

結婚したら救われないなら、人類のほとんどは救われません。

本当の仏教が、そんな教えであるはずがありません。

本当の仏教は、全ての人が救われる教えであることを明らかにしたのが浄土真宗ですが、それ故その時代には新興宗教的な扱いを受けました。

師匠・法然上人と共に、親鸞聖人は流刑に遇われました。

堕落坊主・破壊坊主の汚名を着せられたのに、なぜその後、日本最大の仏教宗派になったのか?

親鸞聖人の教えは「世界の光」

親鸞聖人の教えは「世界の光」と言われます。

世界的な哲学者ハイデッカーが、そう述べていますが、なぜか現代の日本人は余り知りません。

全ての人、男も女も誰でも救われるのが浄土真宗であり、本当の仏教なのです。

生きている全ての人に、生きる希望を与えたから「世界の光」と言われるのです。

仏教を説かれたお釈迦様も、もちろん尊いですが、親鸞聖人がお生まれになられなければ、お釈迦様の真意もわかりませんでした。

お釈迦様の本当の偉大さが分かったのも、親鸞聖人が生まれ、教えを説かれたからに他ありません。

だから、浄土真宗では親鸞聖人の降誕会を、報恩講と並ぶ2大行事とするのです。

それは決して、お釈迦様を蔑ろにするのでも、疎かにするものはありません。

むしろ、お釈迦様を尊敬するからこそ、人間・親鸞聖人の誕生の御恩を感じずにおれません。

如来大悲の恩徳(にょらいだいひのおんどく)は、
身を粉にしても報ずべし(ほうずべし)
師主知識の恩徳(ししゅちしきのおんどく)も、
骨を砕きても謝すべし(しゃすべし)

親鸞聖人・正像末和讃

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